生野俊道さん(高校時代陸上部顧問)

有紀にとって陸上競技は、自己表現の手段であったと思います。
(有森裕子もマラソンが大好きなのではなく、自分を認めてもらう為の1つの手段であったようです。)

始めは走り高跳びをやりたいと言っていました。
しかし、当時は今と違っていてちょっと太っていましたし、中学時代にバレーボールをやっていた為、肩が強く槍投げの方が向いているのではないかと思い、インターハイにも出場したこの種目を始めたのでした。

当時、学校には大会の際に必ず行われる"検定"に通る槍がなかった為、有紀のために新しい槍を購入したのですが、彼女は凄く喜んでくれて、その槍を自転車で担ぎながら毎日持って帰るようになりました。

しかし、新しいはずの槍はみるみるペイントがはがれ傷がいっぱいに…
これは砂場の中で突き刺し(槍の練習方法)をした時と同じ現象。
実は、有紀は毎朝海岸に出て砂浜で投げていたのでした。
一見天才的な才能に支えられているようですが、努力の人でもあったのです。

エピソード1
後に件大会の決勝に駒を進めることになるリレーの一員として、第1走を走ったことがあります。この時目にいっぱいの涙…
「走る事は自分の中ではやらないつもりでいたのに走らなくてはいけない!自分に自信がない!嫌で嫌で……」
「一流のプレーヤーになるなら、このぐらいのパフォーマンスもやれて自己表現できないと試合で実力が出せないぞ!」
この言葉に有紀は気持ちをすぐ入れ替え、キリッとした目に変わり結果としてはリレーを走りました。

エピソード2
2年生の時の新人戦件大会で既にナンバー1の実力をつけていた有紀でしたが、槍投げで優勝できませんでした。
この時も大泣き!
「どうして負けたの?」
「相手が上手く引っ掛けることができて飛んだ……実力は私のほうが上なのに……」
「結果が出てしまったことを悔やんでみても仕方ない。それより明日の円盤投げではどちらが実力があるの?」
「…………」
「円盤で今度は引っ掛けてやったら?」
目標が決まるとそれに向かって気持ちを集中できる立ち直りの早さには敬服するものがありました。見事優勝!!

エピソード3
2年生の時の関東大会。
インターハイを目指して……しかし結果は残念ながら。
このときも大いに泣きました。
この様子を多くの先輩指導者たちが見ていて、
「いい選手を持っているね。明日につながるいい涙を流す」
と言ってくれました。
今日の彼女があるのも、大きな瞳から流れた綺麗な涙が培ってくれたものだと思っています。

最後に…
有紀と同期の子の結婚式で会った時、こんなことを言っていました。
「私は生野先生を恨んでいるんです!」
これは卒業時まで面倒を見てくれなかった事と進路相談がしっかりできなかったことに対する事のようです。
(有紀と結婚しないで今の妻と結婚したことを恨んでいるのではないのがつまらないことではありますが(笑))
でも、自分で切り開いた人生で成功を収め、更なる活躍の場を求めて頑張れる姿を見られるので私は幸せで、ただただエールを送り続けたいと思っています。

 一日一生 頑張れ!

生野 俊道

おまけ
彼女は"生もの"が駄目なのです。(今もかな?)
しかし、部員には関東大会に出場出来たらお寿司屋さんで御馳走する約束をしていました。
第1号は有紀。
千葉の成田で開催された関東大会。
夜、約束通りお寿司屋さんに…
そしてカウンターに座って
「好きなもの頼んでいいよ」
そこで彼女の次の言葉。
「玉子だけで一人前お願いします」
これには板さん???で、でも、ちゃんと"10個の玉子の握り"が、彼女の前に並び美味しそうに全部たいらげました。
(お寿司駄目だから焼肉とかにして!と言わないのが彼女なのかな……)